立松和平氏の発する言葉がとても自然で力の抜けて、あのイントネーションと共に何とも言えないおかしみを醸し出して、2人のトークに会場は非常に盛り上がっていました。
映画の内容には触れないという約束で、“夢”を描いた作品であるという事だけをトークの題材にしていたのだけれど、2人の話すひと言ひと言が非常に深く真理を突いていて、考えさせられる内容で、この話を聞けた事が素晴らしい体験で、とても価値のある時間になりました。
例えば小栗康平監督の映画はカット数が少ないという事。
どうしてそうなるのか、そうする事の意義と、それから生まれてくる事とは。
引きの画が多い事。
その意味と、その画から感じる事。拡がる世界。
監督は、自分の映画が、押しつけがましくなく、画面に余韻を持たせ、観客一人一人に感じるままに考えさせる事を究極的な理想としているように思えました。
小栗康平監督作品を初めて観ました。
シーンの多くは、とても引いた画から始まり、人物に寄って行っても、最高でバストアップまで。それもバストアップになった場面は、浅野忠信、岸部一徳、夏蓮の三人だけで、多分全部でも3、4回しかなかったと思います。
引きの画と、自然光と普通の室内照明の為か人物が暗くて遠いので、ほとんど他のキャストの顔はよく見えません。
最後の方まで、平田満が初めの方から何度も出ていた事を気づきませんでした。
エンディングロールで特別出演の松坂慶子の文字を見て、ほとんど全員が「一体どこに出ていたの?」と思ったのではないでしょうか?
その他にも、主要キャスト以外に、驚くような人がわずかなシーンに出演しています。
そういった引きの画に、前のシーンからのセリフや、画に映っていない人物のセリフが被ってきます。
「この感じは、一体なんだろう?」と観ながら考えていました。
監督は「ファンタジー映画」と何度も話していたが、もの凄くリアル過ぎて、逆にそれがファンタジーに思えてくるような感じ。
例えば、そばに居る人達が話している事を、何とはなしに聞いている時。
自分にとって重要な事柄や、直接関わってくるような事なら、聞き耳を立てて、話に入って行くだろうし、全く興味のない事柄なら、相づちしながらも聞き流している。
そんな雰囲気が、ずっと続きます。
ほとんど意味のないセリフを、顔の見えない役者達が、ただ話している。
それが、とてもリアルで、その繰り返しに次第にファンタジーを感じ始めます。
実際ファンタジーっぽい映像も出て来ますが、そのシーンが逆にとてもリアルに感じて、リアルな会話やシーンの中に、ファンタジーを観る感じ。
私達の現実の日常の中でも、リアルとファンタジーは意外に表裏一体で、いつ、どこでも何かのはずみでどちらにでも転ぶ事が出来るのだとはっきりと気づかされる、刺激的な映画でした。
小栗康平監督作品集 DVD-BOX

NHK人間講座「映画を見る眼~映像の文体を考える」のテキストをもとに加筆。映画を見る眼
10年間に綴られた物をまとめたエッセイ集。見ること、在ること



