ストーリーのベースには、今現在のドイツ、ベルリンに生きる若者の思う理想、主義の為の“革命”がある。
“革命”という言葉と一番かけ離れたところに生きているように思える現代日本人である自分は、映画を観ている間中、生き方や思想について考えさせられた。
主人公達が自分の信じる理想主義を熱く語るたび、自分の全てを懸けてまで信じられる理想主義があるという事が羨ましくもあり、まぶしく見える。
しかし、理想主義の為に人生を懸けるのか、全てを捨てて理想に生きる事が出来るのか? と考えると、そんな熱い思想を持たない自分で良かったと安心する部分もある。
主人公の若者と相対する上流階級の代表のような中年男性ハーデンベルグとの討論では、どちらにも共感しながら、でも自分の立場は贅沢好きの大人の方に近いので、ハーデンベルグの方により共感したりもする。
彼等の“革命”は、上流階級の留守宅へ侵入し、家具や電化製品をオブジェのように積み上げたりして、「贅沢は敵だ。教育者より」というメッセージを残すというもの。
不法侵入は立派な犯罪だが、彼等のやっている事はどこか悪戯っぽくて、“革命”と言うには大仰な気がする。
物を盗んだり壊したりしないというポリシーが“革命”に通ずるのか。
でも主人公ヤンのパートナー、ピーターが時計を盗んだり、ピーターの恋人ユールとお遊び半分で家へ侵入したりと、若さ故の甘さが垣間見られ、革命なのかただ何かしたいだけなのか、と心配になってくる。
その甘さが逆に、この映画をとても現実感のあるものにしていて、“革命”とかけ離れた日々を生きる自分に、ほんの少しでも接点を感じさせてくれる。
そこにこの映画がスタイリッシュと言われる理由もあると思う。
主人公ヤンを演じるダニエル・ブリュールは「グッバイ、レーニン!」でも主演。
二枚目ではないけれど味のある顔つきに見入ってしまう。
それはピーター役のスタイプ・エルツェッグ、ユール役のジュリア・ジェンチも同じで、あまりに自然でリアルな演技と味のある顔つき、表情にドキュメンタリー映画を観ているような気分になる事があった。
デジタルカメラの粒子の粗い、ブレブレの映像が、夜の闇の場面では更に観づらくなるが、それがかえって本当に“教育者達”の活動を収めたライブビデオを観ているような気にさせる。
この“住宅占拠”の運動は、90年代半ば、壁が開いた後の東ベルリンで実際に行われていて、ハンス・ヴァインガルトナー監督もそのメンバーの一員だったそうだ。
普段自分の事を“大人”だと思う事はほとんどないけれど、この映画を考える時、いつの間にか自分が“大人”側の立場になってしまっているのかと思い知らされる。
政治的な理想や主義に自分なりの答えと、それらの思想に対する明確な立場を迫られる映画だ。
グッバイ、レーニン!
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